センター長の挨拶 

高等教育研究開発センター長     小林  信一

2022年5月1日、広島大学高等教育研究開発センターはその前身である大学教育研究センターの設立から数えて、創立50周年を迎えました。これを機に、2022年1月から2023年4月までの1年4ヶ月を50周年事業の実施期間としてさまざまな活動を展開してまいります。また、「高等教育研究開発センター創立50周年記念基金」を造成するための募金も開始しております。

創立50周年を機に、改めて本センターの創設期を振り返りたいと思います。

1969年ころの大学紛争を契機に、広島大学の大学改革委員会は大学問題調査室の開設を建議しました。これに基づいて1970年2月に学内措置として大学問題調査室が設置されました。これが、センターの源流です。その後、1972年5月1日に、日本で最初の大学・高等教育に関する研究のための専門機関として、広島大学大学教育研究センターが発足しました。この大学教育研究センターが高等教育研究開発センターの直接の前身です。それ以来、満50年を経過した次第です。発足時のメンバーとしては、専任教官のほか、併任研究員(現在の学内研究員)、学外の客員研究員の制度により、当初から幅広い研究者が参画していました。1972年度の陣容は以下のとおりです。

センター長 前川 力・理学部教授
主任    横尾壮英・教育学部助教授
  ※前川先生、横尾先生は、調査室時代の調査室長及び調査室主任。横尾先生は翌年に第2代のセンター長に就任。
センター専任
喜多村和之・助教授(国立国会図書館から異動)
近藤春生・助手
渡部宗助・助手
川上昭吾・助手
  ※調査室時代の助手3名がそのまま助手に就任。
調査室時代には、のべ4名の助手が在籍。後にセンター長になられる有本章先生は調査室の初期に助手を務め、センター設立前に大阪教育大学へ転出。

なお、センターの構成員ではありませんが、センターの管理委員会委員長でもある学長が広島大学第4代学長飯島宗一氏でした。
  ※飯島学長は、原爆症研究に携わった先生ですが、大学紛争のあと、46歳で学長となり、大学の再建を進めました。その後、名古屋大学の学長を務め、最も学長らしい学長として広く知られることになりました。その後、臨時教育審議会第四部会(高等教育改革)の部会長を務め、大学改革を率いたことも知られています。

学内研究員としては、幅広い学部から計8名が参加されました。翌1973年10月にセンターの専任教授になる関正夫・工学部助教授も学内研究員として参加されました。客員研究員としては、全国から13名が参加されました。天野郁夫・名古屋大学助教授、潮木守一・名古屋大学助教授、寺崎昌男・野間教育研究所、中山茂・東京大学講師といった著名な諸先輩も参加されていました。事務体制としては、事務官1名、事務補佐員1名、司書1名でスタートしました。

センターの第1年度目すなわち1972年度の活動をまとめた「センター白書1972年度」には、「大学・高等教育に関する研究・調査を専門とする公的機関の設置は、わが国では初めての試みであり、学内外から少なからぬ注目を浴びた」と書かれています。大学研究・高等教育研究という将来性も不透明な新しい研究分野に挑戦することには、覚悟が必要だっただろうと推測します。しかし、最初から多数の泰斗が結集することで、一気に大学研究・高等教育研究という分野を開拓してくださいました。この熱量を、50年後の今日、推し量ることは困難ですが、それが、私たちが進むべき道を切り拓いて下さったことは確かです。センターの初期に若い学生の少なからぬ者が、この熱気に誘われて大学研究・高等教育研究の世界へ入っていきました。私もそのような時代に、熱い大学研究・高等教育研究に触れて、この世界に足を踏み入れた一人です。もっとも当時は、専門は「大学研究」「高等教育研究」だと自己紹介しても理解されることはありませんでした。そのような時代に、大学研究・高等教育研究という新しい研究分野に挑戦した先駆者、私たちが進むべき道を切り拓いて下さった多くの先輩の皆さんへの尊敬と感謝の念は、どんなに言葉を尽くしても足りません。

大学教育研究センターは、2000年に高等教育研究開発センターに改組され、今日に至ります。

2022年5月
広島大学高等教育研究開発センター長
小林 信一