-第8話 「マーキュリー(ヘルメス)の翼に乗って」-

2010年9月

商業教育と深く関わってきた大学や学校にあっては、ギリシア・ローマ神話に登場する商神ヘルメス(マーキュリー)の杖をデザインした校章が多くみられます。
今回はそうした校章の大学めぐりをいたしましょう。
 
「商神ヘルメス(マーキュリー)」

ギリシア神話に登場するヘルメス(ローマ神話ではメルクリウス、英語読みでマーキュリー)は最高神ゼウスの子。
生まれたその日に、ゆりかごからはい出して異母兄アポロンの牛50頭を盗みます。
アポロンはヘルメスを犯人として突きとめ、ゼウスのもとに連れて行きます。おむつ姿で自分の潔白をまくし立てるヘルメス。これにはゼウスも苦笑します。
しかし、すべてはお見通し。ヘルメスに牛の返却を命じます。
牛を返すにあたり、悪びれもせずにヘルメスは、盗んだ牛の腸で弦を張って作った竪琴を奏でます。
この音色に魅了されたアポロン。そこで牛と竪琴の交換交渉が成立。
すっかり仲良しとなったアポロンは、さらに牛飼いの杖をヘルメスに贈ります。
数あるギリシア神話の中には、これが魔法の杖「ケーリュケイオン」(ラテン語でカドゥケウス)とする話もあります。

聡明なヘルメスはゼウスにも気に入られ、神々への伝令者に任命されます。
翼のついたサンダルと帽子を身につけ、二匹の蛇が巻き付いた魔法の杖を持ったヘルメス。
ひとたび使命があれば、神々の住むあらゆる世界に飛び立ちます。
弁舌巧みで相手の心をつかみ、駆け引き交渉も上手なヘルメスは商業の神として崇められ、彼の持つ「ケーリュケイオン」は商業のシンボルとなります。

「五大州に雄飛せん」

図1 一橋大学

  図1 一橋大学

一橋大学の校章は「ヘルメスの杖」。
卒業生や在学生はこの校章を「マーキュリー」と呼びます(図1)
校章の由来について、大学が刊行する「一橋大学概要」の記載から引用しましょう。

「マーキュリー」の校章は、『ローマ神話に出てくる商業、学術などの神マーキュリーの杖に2匹の蛇が巻き付き、頂に翼が羽ばたいているところをかたどり、それにCommercial Collegeの頭文字を取ってCの字を2つ添えたものです。蛇は英知をあらわし、聡く世界の動きに敏感であることを、また翼は世界に天翔け五大州に雄飛することを意味しています。』

一橋大学の起源は、森有礼による1875(明治8)年の「商法講習所」の私設に始まります。
その後、所轄や名称・形態を何度も変え、時に存亡の危機を在校生、教職員、卒業生の強い意志と団結によって乗り越え、今日に発展してきました。
校章は、同校が日本で最初の官立高等商業学校としての位置づけを得た1887(明治20)年の制定です。

1902(明治35)年の神戸高等商業学校新設に伴い、同校は「東京高等商業学校」と改称。
1920(大正9)年には長年にわたる大学昇格運動が結実して「東京商科大学」となり、東京神田一橋から郊外の国立(くにたち)市へと移転します。
戦後は社会科学系の総合大学となり、学校ゆかりの地「一橋」の名称を冠します。

同校の誇り高きモットーが「Captain of Industry」。
その象徴が「マーキュリー」です。
「一橋」に集いし者の愛唱歌は「一橋会歌 長煙遠く」。
歌の締めくくりは「いざ雄飛せん五大州」のリフレイン。
マーキュリーの翼に乗って世界で活躍する「一橋人」の自負と決意が高らかに歌われます。
 
「全国各地にマーキュリー降臨」

旧制「高等商業学校」は、戦前期日本の商業界における指導的人材の育成を目的とした高等教育機関でした。
商業・金融・保険等に関わる高度な知識や技能はもちろん、国際業務に備えた語学や品格・マナーの習得も重視しました。
学生達は、各校で「紳士たれ」の薫陶を受けます。
大分大学五十年史の記載によれば、大分高等商業学校の学生達は教授から「さん」づけで呼ばれ、新入生はまずこれにびっくりしたそうです。

そうした高等商業学校に「マーキュリー」校章が伝播します。
これには東京高等商業学校や東京商科大学、及びその卒業生達の影響がありました。
ですから「ヘルメス」よりも「マーキュリー」の呼び方が普及しています。
「マーキュリー」校章を持った官立高等商業学校は、たとえば山口、名古屋、福島、彦根、横浜、高岡などの各校。

図2 山口高商(上)     横浜高商(下)

図2 山口高商(上)
    横浜高商(下)

山口高商の帽章は、「上方には商神マーキュリーを配して商業を象徴し、下方高商の文字の素地には山口の組み合わせたもの(「山口高等商業学校沿革史」昭和15年刊行)」。
横浜高商は、マーキュリーの杖と翼がYOKOHAMAのYの字にデザインされています。ミナト横浜らしく船の碇にも見えます(図2)
もっとも和歌山高商では「マーキュリー」の「ハイカラさ」をあえて嫌い、「高商」の文字だけの質実剛健を旨とした帽章を定めています。

やがて各高等商業学校の卒業生は、全国各府県の商業学校(中等教育段階)の設立や教育にも貢献し、「マーキュリー」校章は各校のアレンジを加えてさらに広がっていきます。

「飛躍の商都に市民の大学」

大阪市立大学の学章も「マーキュリー」の翼(図3)
同大学の歴史は、1880(明治13)年に五代友厚をはじめ当時の大阪財界有力者十六名で設立された「大阪商業講習所」から始まります。
1889(明治22)年に「市立大阪商業学校」へと発展し、その後「市立大阪高等商業学校」へと昇格します。

図3 大阪市立大学

図3 大阪市立大学

当時の市長、関一(せきはじめ)は「大学は都市とともにあり、都市は大学とともにある」として実学重視の自治体大学を構想し、これに同窓生と大阪市民が力を合わせた大学昇格運動が展開します。
そして1928(昭和3)年、単科大学ながら学部・予科・高商部を構成する市立「大阪商科大学」が誕生しました。大阪商大は、官立の東京商大、神戸商大とあわせて「三商大」と呼ばれました。

1929(昭和4)年に大学学部が開設され、その校旗奉戴式の際に、「商大」の文字を中央にして両側には「マーキュリー」の翼が配置されたデザインが披露されました。
これを基本にして、現在、公立最大級の総合大学に発展した大阪市立大学の学章も、「大学」の文字が大阪市章「みおつくし」と「マーキュリー」の翼に支えられています。
「市民の大学」という誇りと飛躍が感じられる美しい学章です。

「菊水の地に商神の果実」

図4 神戸高等商業学校

図4 神戸高等商業学校

旧制神戸高等商業学校の徽章は、神戸ゆかりの「菊水」がモチーフ(図4)
これについては、神戸大学附属図書館大学文書史料室の野邑理栄子先生から丁寧な説明をいただきました。
(今回の「マーキュリー校章めぐり」も、野邑先生の論文『神戸大学愛唱歌「商神」の由来(神戸大学教育学会「研究論叢」2006年第13号)』からずいぶん参考にさせていただきました。資料に裏付けされた興味深いお話が満載です。)

旧制神戸高等商業学校は、1902(明治35)年に、日本で二番目の官立高商として設置されました。
徽章を決めるにあたり、水島銕也(てつや)初代校長が選んだのは、楠正成を主祭神とする湊川神社(神戸市中央区)ゆかりの菊水紋。
かつて楠公は、後醍醐天皇からその忠節ぶりを称えられ、皇室の「菊紋」を与えられました。
しかし、それではあまりに畏れ多いと半分を水に流して「菊水」とし、これを自らの紋所にしたとか。
神戸高商の徽章は、この「菊水」をやや崩して勲章の瑞宝章のデザインを模し、これに「コマーシャルハイスクール」の頭文字CHSを配置しています。
最先端をゆく国際指向の神戸高商でしたが、その「基底」には日本と神戸の「スピリッツ」を据えたといえましょう。
やがて1929(昭和4)年、神戸高商を母体に神戸商業大学が設立されます。

戦後の新学制となり、兵庫県内の様々な旧制高等教育機関が統合して神戸大学が発足します。
こうした背景もあって、神戸大学では特定の旧制前身学校の徽章等を継承しませんでした。
なお、平成14年の創立百周年を機にして、KOBEにふさわしいさわやかな大学ロゴマークを発表しています。

高商・商大時代を経て、現在の神戸大学にも継承されている愛唱歌は「商神」。
神戸高商や商大の校章は「マーキュリー」ではありませんが、愛唱歌の歌詞には「商神」が「菊水」の地に果実を落とし、やがてそこに豊かな実を結ぶという内容が織り込まれています。
 
「英知の炬火で世界を照らす」

東京外国語大学の伝統ある校章は1899(明治32)年に制定。
その意匠について、東京外国語大学史(1999年刊行)では『「炬火」が「旺盛」を示し、その下の「棍棒」が「剛健」を意味し、その「棍棒」にはLanguageのLの字がまとわり、さらに海外発展を意味する羽が配置されている』と記しています。

図5 東京外語大学

図5 東京外語大学

神田及武(かんだ・ないぶ)初代校長は、校章発案にあたり「外国語を修得した生徒達が他日世界に雄飛せん」という願いで「羽翼」を着想したそうです。
トーチの炎には「知識こそが世の中を照らす」という思いが込められています。東京外国語大学史によれば、この「トーチ」については「高等商業学校」のマーキュリーの杖をアレンジし、蛇の代わりにLの字を用いたという説もあるそうです(図5)

東京外国語大学の歴史は、安政4(1857)年、江戸幕府により創立された蕃書調所にさかのぼります。
その源流から一つの流れが1877(明治10)年創立の東京大学に至り、もう一つの流れが1873(明治6)年に東京神田一橋で開校する東京外国語学校です。
しかしこの外国語学校も、東京大学予備門に移行する流れと東京商業学校に合流(明治18年)する流れに分かれ、外国語教育の独立した教育機関はいったん姿を消します。
統合した東京商業学校は1887(明治20)年に「高等商業学校」に昇格し、この年に「マーキュリー」校章をつくります。
1897(明治30)年になって「高等商業学校附属」として外国語学校が再興され、さらに1899(明治32)年には高等商業学校から分離・独立して、再び東京外国語学校となります。
晴れてこの年、制服制帽の決定にあわせて校章も作られました。

東京都千代田区一橋の、現在「学術総合センター」と一橋大学同窓会の「如水会館」がある敷地境界あたり。ここに「東京外国語学校発祥の地」の石碑が据えられ、大学の由来とともにこの校章が美しく刻まれています。
お隣の如水会館正面には金色のマーキュリー校章が掲げられています。
それぞれの校章に、近代日本において両校が共有した歴史が織り込まれています。

さて、次回は海や船にちなんだ大学校章をご紹介しましょう。