-第1話 「『柏葉』は尚武と繁栄のシンボル」-

2009年5月

「柏葉と橄欖(かんらん)」

戦前期、全国に設置された旧制高校の校章には、多様なバリエーションが見られます。
これら学校の名声にもあやかって、以後設立されていく様々な学校の校章モチーフにもなっていきます。
まずは旧制高校をとっかかりに、校章大学めぐりを始めましょう。

とりあえず「番号順」で、旧制第一高等学校(東京)から。

1886(明治19)年公布の中学校令によって、当時すでに設置されていた「大学予備門」が第一高等中学校とあらたまり、さらに1894年(明治27年)の高等学校令によって第一高等学校となりました。
旧制高等学校は、帝国大学への進学を前提とした「男子ノ高等普通教育ヲ完成スルヲ目的」とした高等教育機関であり、なかでも一高は全国より英才を集めた「天下の名門」。

図1 旧制第一高等学校

 

その校章が「柏葉と橄欖(かんらん)」です(図1)
柏の葉は、ギリシア・ローマ神話に登場する武神マルスの象徴。
一方の橄欖は、学問、平和、道徳の女神であるミネルヴァ(アテネ)をシンボライズした「知恵の実」。
「柏と橄欖」は、いってみれば「文武両道」の象徴です。

ところで「橄欖」って一体どんな木なんだぁ?農学部の先生におうかがいしたら、答えは「知らないなぁ・・」。
そこで、話のいきさつを話してみたら、「きっとそれ、オリーブじゃないの?」でした。

あれこれ調べてみると「橄欖」という植物は実際あるものの、ミネルヴァとの関係を考えれば「橄欖」がオリーブだと考えてもつじつまは合います。
そうはいっても「橄欖」の方が、オリーブよりもなんとなく雰囲気出ていますよね。

日本でも柏餅といえば五月五日の端午の節句。
柏葉は冬になっても葉を落とさず、春に新芽が出てから初めて落葉します。
これが「お家継承・子孫繁栄」を意味するいわれになって、お武家ではとても大切にした木だそうです。
そんなことから、日本でも柏は「武門」のイメージにつながります。

「柏と橄欖」は、「文に流れず武に猛らず」の意味を込めたデザインです。
この校章は、今も東京大学駒場キャンパス(昭和10年、一高が本郷から移転後の所在地)の正門扉に刻まれています。
また、教養学部1号館建物裏側にもレリーフが掛かっています。
ついでの話ですけれど、駒場キャンパスの「東大ファカルティハウス(旧一高同窓会館)」のフレンチレストランは「橄欖」というのだそうです。
もひとつおまけで、東大の柏キャンパス(これ千葉県「柏」市)に行くには筑波エクスプレスの「柏の葉キャンパス」駅下車が便利だそうです。
「柏」市の「柏の葉キャンパス」駅の東大。これ偶然?

熊本の旧制第五高等学校も同じ「柏と橄欖」。
真ん中には「五高」の文字が配置されています。
中学校令によって、熊本には1887(明治20)年に第五高等中学校が設置され、こちらも1894(明治27)年の高等学校令で第五高等学校と改称します。
五高は、肥後の風土そのままに剛毅木訥を校風として、校地運動場「武夫原(ぶうげん)」に青春を輝かせた多くの龍南健児を輩出しました。

熊本大学では、1889(明治22)年竣工の英国風赤煉瓦が美しい旧五高本館を「五高記念館」として今も保存し、貴重な資料を展示しています。
熊本大学の正門(赤門)も五高当時のもので、構内の旧五高化学実験場の赤煉瓦建築とあわせて一見の価値あり。どちらも重要文化財です。
キャンパス内には、五高で教師を務めた小泉八雲、夏目漱石、嘉納治五郎などの石碑や龍南健児(五高生)の像もあります。

「兜の前立(かぶとのまえたて)」にも似て

図2 旧制山口高等学校

旧制山口高等学校も中学校令で設置された高等中学校でした。
以後、山口高等学校となって一度廃校となりましたが、高等学校令公布後、1919(大正8)年に改めて再興されます。

校章は「山」の字をアレンジした「鍬型」(くわがた:兜の左右に突き出た角状の飾り)に柏三葉を置き、さらに「高」の字を配置しています(図2)
学校の設立・発展には、旧藩主毛利家や明治政府の元勲(すなわち維新の長州志士)たちがバックアップしていただけに、じっと校章を眺めていると、なんとなく兜の「前立(まえたて)」にも見えてきます。

新制大学として開学した山口大学の校章にも、「山」の字をアレンジした鍬形(Universityの「U」でもある)と「Yamaguchi」の「Y」がデザインされています(図3)

図3 山口大学

山口大学では、法人化にともなって「ヴィジュアル・アイデンティティ」プロジェクトを進め、大学の「実直さと安心感」を表現した、ハート型の新しいシンボルマークを制定しました。

土佐の象徴ですから

旧制高知高等学校は1921年(大正10年)に設立。
同校の校章も柏葉ですが、こちらは旧藩主山内家の定紋をベースにした「山内柏(土佐柏)」。
この柏葉に「高知」と「高校」を兼ねた「高」の文字が配置されています(図4)

旧制高知高等学校

図4 旧制高知高等学校

山内家定紋の逸話は、司馬遼太郎「功名が辻」で有名です。
山内一豊のお祖父様(お父上だ、いや、ご先祖だという話もあり)は、形勢厳しき合戦の真最中。
気づけば背中の旗指物がありません。そこで近くに生えていた柏を旗指物の代わりにして戦闘再開。
この合戦にお味方が逆転勝利した時、背に立てた柏は三葉を残すのみ。
この武功と吉例をたたえて「三葉柏」を家紋としたそうな。
話の真偽には議論もあるようですが、ともあれ三葉柏は山内家の紋。

土佐出身の岩崎弥太郎が、主君のこの紋所をモチーフにして三菱の社章(スリーダイヤモンド)を考案したというのも有名な話です。

新制大学となってからの高知大学校章は、月桂樹に大学の文字を冠し、さらにそれを太平洋の黒潮の波濤で包み込んでいます(図5)

図5 新制高知大学

図5 新制高知大学

土佐湾沖を流れる黒潮は、県土全体が太平洋に面した地形とも相まって気候・風土・産業は勿論、人々の生活に深くかかわっている南国土佐の象徽です。

2003(平成15)年、高知大学は、高知医科大学と統合して「新生高知大学」となり、新しい学章を公募決定しました。
青色で太平洋の波濤と黒潮を、空色で若者の可能性と大空をイメージした新しいロゴバッジを学長先生も襟に着けていました。
 
「柏葉」私学は、この春リニューアル

私学では、武蔵工業大学が柏葉マークでした。
同大学は、1929(昭和4)年に武蔵高等工科学校として創設し、1942(昭和17)年に武蔵高等工業学校となった時に、「古来品格のある木」として柏葉を校章に採用しました。
1949(昭和24)年に、新制武蔵工業大学となってからも、新たな柏葉デザインの「襟章」を制定しています。

創立以来、工学教育の単科大学として定評のあった武蔵工大は、やがて知識工学部や環境情報学部を設置し、2009(平成21)年4月には、東京都市大学として、文系学部も併設した総合大学に生まれ変わりました。
「TOKYO CITY UNIV.」として、シンボルマークもデザイン一新です。
 
さてさて、ずいぶん長くなりましたが、第一話はここまで。次回は、「銀杏」をテーマにして校章大学めぐりをいたしましょう。