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福山大学 学長、元専任教員
大塚 豊
広島大学高等教育研究開発センター創立50周年へのお祝いメッセージ
大塚 豊 (福山大学 学長・元専任教員)
高等教育研究開発センター創設50周年、おめでとうございます。在職中に使い慣れていた大学教育研究センター、略称「大教センター」の
ほうが「高教研」よりも馴染み深い旧スタッフの私ですが、半世紀にわたるセンターの偉業に対して、衷心からの敬意と祝福の気持ちを
申し上げます。
思い起こせば、昭和53年(1978)に助手として採用され、文字どおりの僥倖でアカデミック・キャリアを歩み出させて頂いたセンターには、
いくら感謝しても足りないくらいです。横尾壮英センター長、喜多村和之先生、馬越徹先生、関正夫先生など、いずれもすでに鬼籍に入られた
専任の先生方、さらに日本中の、いや世界各国の、と言うべきでしょうか、大学・高等教育に関心のある綺羅星の如き併任・客員の碩学・先達
が集うセンターは、若者には眩しいばかりの職場でした。創設から日の浅いセンターには草創期の勢いがありました。学内外でしっかりと地歩
を固め、高等教育研究の拠点としての地位を確かなものにするために、下っ端スタッフの目から見ていて、皆さんが本当に必死で頑張って
いらっしゃいました。そんな中で、喜多村先生には『論集』用に準備した拙稿に真っ赤になるほど手を入れて頂き、文章修行をさせてもらった
のもセンターでした。雲の上の存在のようであったマーチン・トロウ先生の謦咳に直接接し、若造の愚見にも真摯に耳を傾けて、決して
偉ぶられることなくお教え下さるお姿に、本当に優れた学者・人というのは、こうも謙虚になれるものなのだと感動を味わえたのもセンターに
在籍していたからこそでしょう。
当時の助手の任期3年が切れる少し前に転出し、もう戻ることはあるまいと思っていたセンターでした。しかし、平成2年(1990)にもう一度
働いてみないかと、ご親切に声を掛けて頂き、身の程知らずにも舞い戻ることに決めました。顔ぶれは以前とはだいぶん変わっていましたが、
やはり実力のある方々に囲まれ、働きがいのある職場でした。元あった広島市内の東千田町から西条キャンパスへの移転が途中にあり、
支給された淡い水色の作業着を着込んで、図書資料の搬送・整理など大仕事だったことが懐かしく思い出されます。そこで落ち着いていれば
良いものを、その後、高等教育研究というよりもむしろ国際教育協力・開発への関心が次第に膨らみ、またもや平成10年10月にセンターから
異動することになりました。このように出たり入ったりで、センターにはお世話になる一方で、どれほど貢献できたか心許ない気持ちに
なります。
今、たまたま大学の運営や改革を推進すべき立場になって、センターでのさまざまな経験がどれほど役に立っているか知れません。
そんな大恩あるセンターが次の半世紀に向けて益々発展して行かれることを願っています。