お祝いコメント/市川 昭午

元国立学校財務センター 研究部長・教授等
市川 昭午

 

広島大学高等教育研究センター 創立50周年を祝して
大学研究のメッカ

 

市川 昭午 (元国立学校財務センター 研究部長・教授等)

 

 教育に関する組織的な研究は国民教育を担う教員養成の必要から始まるのが普通であり、当該教育が普遍化するか、少なくとも大衆化

しなければ研究の対象とならない。我が国でも戦前に教育研究の主要な対象とされたのは初等教育であり、中等教育の研究が始まるのは昭和期

に入ってから、本格化するのは戦後になってからのことである。

 しかし、高等教育は1950年代までは未だエリート教育の段階にあり、特に大学は建前としては学術研究機関であり、研究を担う主体であって

研究される対象ではなかった。60年代の高度経済成長に伴って進学率が急上昇した結果、大衆化した学生とそれに対応できなかった大学との

間の齟齬が拡大し、大学紛争を惹起する要因となった。

 大学に関する研究が本格化するのはそうした事態に直面してからのことである。それ以前も大学史の研究あるいは大学管理(自治)論や

学生運動史などは存在したが、大学ないしは高等教育を研究対象とする講座等は存在しなかった。我が国で大学研究が制度化されるのは1972年

広島大学に設置された大学教育研究センターが最初である。

 以来筑波大学に大学研究センターが設置される1986年までの間、RIHEは我が国における唯一の大学研究機関であり、全国の高等教育研究者

にとってメッカのような存在であった。私も現役の間は毎年開催される研究員集会に参加し、研究報告や基調講演を引受けただけでなく、1976年

4月から80年3月まで客員研究員となっている。

 昔から教育界では“西の尚志”に対比されるのが“東の茗渓”であるが、高等教育に関しては人材不足だったのであろう。私のような者にまで

声がかかり、1987年12月から90年3月までの短い期間ではあったが筑波大学大学研究センターの併任教授を務めている。しかし、残念ながら

先行する広大センターに追いつくことはできなかった。

 今日では高等教育開発センターなるものが半数近くの国立大学に置かれ、私立大学にも幾つか存在するようになったが、「高等教育開発

センター」なるものは「大学研究センター」とはいささか性格を異にするもののようであり、これまでのところRIHEを凌駕するものは

寡聞にして知らない。

 RIHEの優れていると思われるのは次の二点である。一つは研究の視点が広島大学の学内問題に狭隘化していないことであり、もう一つは全国

の研究者、それどころか世界の研究者に門戸を開放していることである。そうしたことからRIHEは依然として我が国高等教育研究者にとって

メッカ的存在であるように思われる。

 これから50年後にも我が国を代表する高等教育研究施設であり続けることを期待したい。できればその間に世界有数の存在に成長している

ことを願ってやまない。