東京大学 教授
福留 東士
RIHEの大学院の思い出。そして今、願っていること
福留 東士 (東京大学 教授)
私は修士課程、博士課程、ポスドク、教員という4つの立場で計13年、RIHEに在籍した。もしRIHEがなかったら、あるいはRIHEがあっても
大学院生を受け入れていなかったら、私は研究者にはなれなかった。研究所でありながら大学院を持つというユニークで柔軟な組織であった
から私は救われた。私の修士入学当時(1997年)、院生は計4名だった。それに対して専任教員は7名、助手が5名いた。外国人の先生や
ポスドクもいた。教育学部や総合科学部にもRIHEに縁のある先生がいて授業を受けに行った。院生当時はこの環境が奇跡的なまでに贅沢である
ことを自覚していなかったし、この環境を自分が存分に活かしたとも思っていない。しかし、振り返って、この環境によって育てられていた
(主体的に育ったのではない)ことの意味を噛みしめている。
RIHEの大学院からは多くの人材が育ち、各地で活躍している。博士進学者がどれだけ研究者になっているか、その比率を算出すればきわめて
高い数値となる。RIHE出身であることを互いに特別視することはないが、様々な場面で交流し、幾度となく助け合ってきた。研究者養成の面
から見てRIHEによる学界への貢献はきわめて大きい。
しかし、RIHEは第一義的には研究所である。自分が教員であった時期を含めて、RIHEが大学院教育機能を前面に出すことは少なかったように
思う。だが、今後はもっと、研究と教育の相互作用をアピールしてよいのではないだろうか。それはこれまでもずっと研究所としてのRIHEの
機能を支える重要な一端であったはずであるから。
現在、私は教育学研究科で教え、大学・高等教育の研究者や実務家を育成している。院生の数は多く、研究と教育の両立は率直に言って
厳しい。日々時間に追われ、忸怩たる思いの連続である。それでも院生がいるから自分の研究に意義を見出せており、様々な形で教員と院生は
支え合っていることを実感する。研究と教育の相互循環・相互移転によってお互いがお互いを成り立たせている。
日本国内には高等教育の大学院プログラムは片手で数えられるほどしかない。米国とは2桁数が違う。これには様々な理由があるだろうが、
潜在的な教育ニーズは着実に、かつ多様に広がりつつある。時代はオンライン全盛。オンラインについて私は功罪両面を感じているが、大学院
教育にとっては強い追い風である。時間と空間を超えることが容易になる中で、これまでそれら要因が制約になってきたRIHEの教育活動にも
新たな可能性が生じているのではないかと想像する。そして、空間の壁は地理的側面もあるが、所属機関ごとの制度的あるいは心理的な壁と
いう意味もある。オンラインを活用して所属機関にとらわれない柔軟な教育体制を構築できれば、より多くの知を交流させることができ、人と
人との出会いの可能性が高まる。その中で救われる人もまた、増えるのではないだろうか。そんな建設的な関係をこれからRIHEと結んで
いけたらと願っている。