お祝いコメント/荒井 克弘

独立行政法人大学入試センター、入学者選抜研究に関する調査室 客員教授
荒井 克弘

 

 

広島大学高等教育研究開発センターの50周年に想う

荒井 克弘 (独立行政法人大学入試センター、入学者選抜研究に関する調査室 客員教授)

 

 

 高等教育研究開発センター(当時、大学教育研究センター)に自分が在籍したのは1992から96年までの4年足らずである。センターに貢献

できたことは少ないが、自分にとっては貴重な学びの時間であった。ちょうどこの時期は、西条への大学移転時期と重なり、短い間であった

にもかかわらず、引っ越しばかりしていた。東京から広島へ、東千田町から西条キャンパスへ、研究室だけでなく、自宅の転居もあり、始終、

段ボールを眺めながら日を送っていた印象が深い。

 センター時代の思い出のひとつは、原田康夫学長を囲んでの「広島大学計画委員会」である。文学部の位藤邦生教授が委員長で、その他7名

ほど、各学部の若手ホープとおぼしき論客教授たちが集まっていた。テーマはその時々に変わったが、同年配の意気盛んな各学部の代表選手

たちと侃々諤々の議論ができたのは愉しかった。位藤先生の人柄のせいであろう。激しい議論が交わされても、会議が終わればサッパリした

ものであった。

 当時の学内の関心事は大学院部局化(重点化)であり、広島大学は結局、蚊帳の外に置かれ派しまいか、という疑心暗鬼も漂っていた。その

時期に、広大の大学院10年将来構想も建てられた。副学長の小笠原道雄先生、茂里一紘先生の側で多少のお手伝いをさせて頂いたが、文科省の

意向に翻弄されることなく、広島大学独自の構想、計画を淡々と組み上げていく姿勢には潔さを感じ、また感銘を受けた。本部の事務局の方に

漸く顔を覚えてもらえた頃、私は広島大学を辞することになった。広島を去る数日前に、原田学長と位藤先生のお二人に駅近くの料理屋で

送別会をして頂いたのは、光栄であり、うれしかった思い出である。

 研究面では、たまたま科研費に恵まれ、『大学のリメディアル教育』の共同研究を進めることができた。同僚の羽田貴史氏、また当時の助教

の方々にも感謝したい。大学のリメディアル教育は、つまるところ、高校教育の補習に過ぎなかったが、90年代の急激な少子化のなかで、入試

は競争選抜から緩和へ向かい、学生の学力問題はますます深刻さを増した。他方で、行政は盛んに「多様化」の旗を振るうばかりで、大学と

高校教育の溝はますます深くなった。この調査研究を実施していて、大学教育の研究をしているはずなのに、どうしても高校教育の研究の

ほうへのめり込むような妙な錯覚を覚えた。いま思えば、今日の「高大接続」問題の端緒に触れていたのであろう。

 広大のセンターが設置(1972)されてから、25年後の1997年に、日本高等教育学会が創設された。学会の創設は、われわれの世代の願い

でもあったが、それまでの広大センターの25年の歴史と別れるような一抹の寂しさを感じたものである。広大のセンターは確実に日本の高等

教育研究のメッカであった。そこにはさまざまな分野から個性的な専門家が集まり、センターの活気とバイタリティの源泉となった。ひとつの

専門分野が成長し、組織化され、学会がつくられるのは通常の姿である。それでも、何か忘れ物をしたような気分が襲われたのは、感傷だろう

か。ともあれ、広島大学高等教育研究開発センターは創立50周年を迎えた。日本高等教育学会もまた創立から25年である。日本の高等教育研究

はまた新たな正念場に立つこととなった。