-第6話 「秀峰、人を育つ」-

2010年2月

「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな」。
石川啄木がこう詠んだように、その街その郷土には心の拠り所となる山があります。
山は四季の移ろいを教えつつ、人々を優しく見守ります。
多くの校歌でも、愛すべきふるさとの象徴として歌われます。
山をデザインした校章も少なくありません。
今回は、そうした大学校章をご紹介しましょう。
 
「そびゆる富士と寄する波」

図1静岡大学

  図1 静岡大学

日本を代表する山といえば、まず富士山。
この秀峰を校章に掲げるのが静岡大学です(図1)
大学のホームページでは「静岡大学から眺められる宝永山がある表富士を背景に、手前の連なるうねりで遠州灘や駿河湾の波濤を表す構図とし、この雄大な景観の地に位置する本学を表現する」と記されています。
平成11(1999)年の静岡大学創立50周年記念事業の一環として、従来から「大学バッジ」として使われていた原図を一部修正し、正式に学章として制定しました。

同年に静岡大学が発行した「静岡大学の五十年(写真集)」には、新制大学発足当時の昭和24(1949)年に採用された「大学バッジ」が掲載されています。
基本型はほぼ同一ですが、現学章にある波濤のデザインは、富士南陵に連なる愛鷹(あしたか)山の三峰となっています。
また「大学」の文字の右側には「宝永山」が少しリアルに描かれていました。
現在の学章をみても、右側の山裾の流れに、宝永山を示す稜線の「ズレ」が表現されているのを確認できましょう。
印象に残るいい校章です。
 
「富士の高嶺(たかね)に理想を仰ぐ」

図2 都留文科大学

図2 都留文科大学

富士山は、山梨側から見ても絶景です。
都留文科大学(山梨県都留市)の校章は、富士山を背景にして都留の頭文字Tと、ユニバーシティのUをデザインしています(図2)
この校章は、大学30周年記念事業の一環として全国公募され、候補作品の中から学生投票で最終決定したものです。
都留文科大学は、都留市の学園都市構想にもとづき、それまでの市立短期大学を継承して昭和35(1960)年に四年制大学として発足しました。
教員養成主体の小規模大学ながら、その実績をして知名度は全国区。
その一方で、都留市民の12人に1人が都留文科大生というまさに「地域と一体となった大学」です。
この大学を慕って日本各地から若者が集い、学び、再び全国に巣立っていきます。
当時、この学章を選んだ学生さん達は、富士山麓から飛び立つ若鶴の姿に自らのイメージを託したのかもしれません。

都留文科大学は、同じ公立単科大学(高崎市立)である高崎経済大学とスポーツ交流を目的とした対抗戦を行っています。名付けて「鶴鷹(かくよう)戦」。「鶴(都留)」と「鷹(高崎)」のネーミングにニヤリです。

せっかくですから高崎経済大学の学章もご紹介すれば、3本の扇を丸く配置した「三つ扇(高崎扇)」のデザイン。かつて高崎藩主だった大河内松平家の「殿様の御家紋」に由来します。

富士山にちなむ校章・ロゴマークには、静岡県立大学や常葉学園大学などもあります。

「上毛三山に見守られ」

図3 群馬大学

図3 群馬大学

群馬大学の校章は、赤城、榛名、妙義の上毛三山を浮き彫りにさせて「大学」の文字を囲んでいます(図3)
赤城山と榛名山はどちらも雄大な裾野(すその)をもつ火山。
妙義山は変化に富んだ奇岩の山で日本三大奇勝の一つです。
関東平野の北西端に座する赤城山や榛名山は、冬の晴れた日など東京の高層ビルからも遠望できます。

多くの群馬県民にとって「山」と言ったら「上毛三山」。「かるた」と言えば「上毛かるた」。
群馬の風土や歴史を読み込んだ「上毛かるた」の中でも、これら三山はどれも人気の札です。
上毛三山は群馬県の学校校歌でもさぞや歌われていることでしょう。

群馬大学の本部は前橋市ですが、工学部は桐生市にあります。
桐生キャンパスには、前身校であった官立桐生高等染織学校(大正4年設立、同9年に桐生高等工業学校に改称)の旧本館玄関の一部と講堂が工学部同窓記念会館として保存されています。
日本では貴重な木造ゴシックスタイルの大正期学校建築です。

旧制時代の由緒ある木造建築を残すことは、関係者の多大な努力と経費が必要です。
実際、多くの国立大学では、老朽化や修繕・維持コストを理由にして伝統建築を取り壊し、均一なコンクリート校舎を建ててきました。
しかし今となってみれば「たとえ苦労はすれども歴史的建築を残す」という道を選んだ大学は素晴らしい財産を持つことになりました。
伝統と歴史をしのばせる大学景観に、卒業生はもちろん、学生や教職員、そして市民の皆さんも、愛着と誇りを持っています。
内外装ともに美しい群馬大学工学部同窓記念館は、テレビや映画の撮影にも使われています。 

「湖水に映ゆる男体山」

図4 宇都宮大学

図4 宇都宮大学

群馬のお隣、栃木県に所在する宇都宮大学の校章は、男体山が中禅寺湖にその姿を写している様子をイメージしたものです(図4)
男体山は日光国立公園内にある関東地方有数の高山であり、栃木県を代表する山です。
首都圏の小学校で修学旅行といえば日光が定番。
壮麗な東照宮とともに、華厳の滝を落とす中禅寺湖と背後にそびえる男体山の光景は、多くの子ども達の心に残っています。
宇都宮大学は、日本が誇るこうした景観を校章に刻んでいます。

宇都宮大学も、前身校の一つである官立宇都宮高等農林学校(大正11年設立)の旧講堂とフランス式庭園を保存・整備しています。
大学正門を入って右手にフランス式庭園があり、その奥に木造の旧講堂が建っています。
大きな切妻屋根をもつ旧講堂。一時期は老朽化してずいぶん荒れていたそうです。
しかし、同窓会や市民の援助を受けた大規模な補修により、往時の美しい姿が蘇りました。これからは一般開放も含め様々な活用の仕方が考えられているとか。
旧講堂前に広がるフランス式庭園は、高等農林学校設置当時に教員達が造庭設計を行い、その後も大切にされてきた由緒ある庭園です。
ツツジの季節は、そりゃもう華麗で端正。
市民に愛着や誇りを感じさせる魅力的な風景として「うつのみや百景」にも選ばれています。
フランス式庭園と小径でつながるイギリス式庭園もいい雰囲気です。

「名山、人士を出(いだ)す」

津軽平野に隆々と突き出た岩木山。「津軽富士」とも呼ばれる独立峰の火山です。
津軽の人々は、この「お岩木山」を心から愛しています。
「全国ふるさと富士」人気投票でも堂々第一位の名山です。

明治期に活躍した弘前出身のジャーナリスト、陸羯南(くが・かつなん)は「名山人士を出す」で始まる漢詩を詠み、岩木山と暮らす津軽の人々に、世のため人のために大きく活躍するよう叱咤激励しています。

その岩木山を校章に配置しているのが弘前学院大学です。
同大学は明治19(1886)年に設立されたキリスト教精神を基にすえる女学校を前身とします。昭和25 (1950)年に短期大学を設置、昭和46 (1971)年には四年制大学を開学し、現在3学部で構成されています。

図5 弘前学院

図5 弘前学院

その校章は、ミッション系らしく盾型を採用し、冠部に岩木山を掲げます(図5)
そのデザインとシックな配色で人気の校章です。

弘前学院大学構内には、明治39年建築の婦人宣教師宿舎が移築・保存され、国の重要文化財にもなっています。煉瓦造りの煙突と赤いとんがり屋根がマッチした美しい洋館です。
お願いすれば、館内を大学スタッフにご案内いただけます。
弘前の洋館めぐりコースにも組み込まれています。

「雪の剣峰、南の火峰」

旧制高等学校に着目すれば、旧制富山高等学校が北アルプス立山連峰の剱岳(つるぎだけ)の姿をアレンジした校章でした。
富山高等学校は大正12(1923年)に設立された公立(富山県立)の七年制高等学校(戦時中の昭和18年に官立へ移管)。
明治期英語教育の先駆者であり、また富山高等学校の創設に尽力して初代校長に就任した英文学者の南日恒太郎氏が、県庁の窓から見た剱岳の勇姿に感動して校章の原型が出来たと言われます。

現在、旧高校跡地はそのまま「馬場記念公園」となり、往時を偲ばせる正門遺構や記念碑が残されています。公園の名称は、巨額の寄附をして県立旧制高校の創設を実現した富山の廻船問屋のご令室、馬場はる氏にちなんでいます。

南国に目を転じれば、かつて鹿児島大学が採用していた大学マークは、○枠の中に噴煙上げる桜島が描かれ、その構図に「大学」と「KAGOSHIMA」の文字が配されています。
現在は使われていないようですが、一目で鹿児島大学だとわかるいいマークでした。
 
さて、次回は天空にきらめく「星」に関わる大学校章をご紹介しましょう。